2018年7月17日火曜日

JMRCA 1996


今週はラジに行って無いので
特にBLOGネタが無いので昔話





自分は過去に(大昔)



バギーの全日本に出た事が有ります

1997年かと思ってたら
1996年だった

コレはその時に
参加賞で貰ったTシャツ



背中には
参加者及び関係者の名前が全員入ってる

もしかしたら
このBLOG見てる方の名前もあるかも?


コレ、スゲェ粋ですよね!

当時、取り仕切ってたのが
中京支部 ミワホビーATLASの佐藤社長さん

佐藤社長を知ってる人だと解ると思いますが
実に「佐藤さんらしい」計らいですよね

ソレナリにお金がかかって
ソコソコメンドクサイ事だと思うけど

参加して貰った人は
嬉しいと思う

だってさ

ワールドチャンピオンの広ナントカ正美さんとか
今じゃTRFで有名な前ナントカ諭さんとかと

同じ処に名前が有るんだよ

チナミニ
その時には気が付かなかったけど
後から名前見直してたら
XEN〇Nレーシングの華ナントカさんの名前も有った

「スゲーじゃん!オレ!こんな人と戦ったんだ!」

って、気分に成れる♪

実際は雲泥の差だけど...(;´∀`)



実はこの全日本

ある日突然、電話が有って
「オマエ、バギーの全日本に出ろやぁ」
...そんな勢いの話で

実際の処
バギーってさ

中坊の頃に買った
ランボルギーニ・チーターと

その後、大人になって
公園で遊んでたマンタレイを走らせた程度

全く知識も技術も
操縦経験も無い

慌ててクルマを用意して
慌てて前の週にミワサーキットに練習に行った

コレがマジメにバギーを走らせた経験
コレ1回だけ

当時、1/12をメインにやってて
バッテリーとかはサブC6セルの頃で
「黄パナ」が全盛の頃

手持ちの振り分けバッテリーが
(サブC6セルを3セルづつ左右に振り分けたモノ)
黄パナしか無かった

そしたら尾崎ナントカサル二郎君が
「バギーはサンヨーだよォ~ゥ~」
とか言うんで

慌ててサンヨーのバッテリー用意したんだけど

余りに突然で
バラセルのサンヨーとか手に入らず

サンヨーのストレートパックを数本買って来て
慌ててバラバラにして
1本1本ターボ30で測って
数値の近いモノを組合せ
シロートマッチドを造った

モーターも
1/12では16ターンぐらいが基本だったので
手持ちでバギー用とか無く

ATLASのナントカストックっての
12ターンぐらいのを買って
自分で分解し、ベアリングを入れた

コレで練習したんだけど

いかんせん、クソ遅い

ミワサーキットに練習に行った帰りに
5千円ぐらいのモーターを買って帰った。


んで、本番

予選1回目

4分走り切る事が出来ず
何処かで壁に当たって
クルマが壊れてリタイヤ

2回目は4分走り切った
(当時のレース時間は4分でした)

予選が何回有ったのか?
全く覚えてませんが

自分は中古で慌てて買った
ヨコモのYZ10って
ツーリングカーYR-4の前身みたいなクルマを使った

ツーリングカーのYR-4は
散々遊んだクルマなので
よく解ってたツモリなんだけど

同じシャーシ構造でも
バギーだと全然違うんですよね?

右も左も前も後ろも
全くセッティングが解らず

最下位メインで
ヨタヨタ走ってたのにも関わらず

当時、ヨコモに居た萱野さんって人が
クルマを見てくれた

ら!ウソみたいにシャキッと走る様に成った

クルマは「ズババババ!」って走るんだけど

なんか?ストレートが遅い


前の週、ミワホビーでモーター買ったのを
ミワの佐藤さんが覚えててくれて

「オマエ、クルマ遅いな」
「モーター外して持っといで!」

世界で5本の指に入る
有名なモーターチューナーさんが
モーター見てくれるってよ!

スゲェじゃん!

完全に舞い上がって
振るえる手を押さえつつ
モーターをクルマから卸した記憶が有ります。

んで、持ってたら
佐藤社長自らサクサク分解し

コミュ研磨機でチョリチョリコミュを弾き出した

じっと横で立って見てたら

「後で持ってってあげるゎ!」

そう言われたので
ピットでおとなしく座って待ってたんだけど

一向にモーターが帰って来ない?

不安になって様子を見に行くと

自分のモーターがバラバラで置いて有った

バラバラってか
何かを測定しようとしたのか?

片側のコードが何らかの機械に繋がってて
ブラシが「ビョン」と飛び出てた

多分、私のモーターを弄ってる最中に
誰かに話しかけられて
その場を立ち去って
やってる事忘れたんでしょう?

後日談ですがツルギ君に
「終わるまで見て無いとダメっすよ!」
って、教えて貰った。



しかしもうじき、自分の走るヒート

メタクソ慌てたよ!

オタオタしてたら
チームATLASの人が組み立ててくれて
回転方向を見てくれた

慌てて走って自分のピットに持って帰り
ショッキーをはんだ付けして
クルマに積み込んで
配線をはんだ付けした流れで
そのままバッテリーもハンダ付け

(当時のバッテリーの配線はハンダ付けでした)

慌ててクルマを持って

車検を通して
プロポを受け取って
操縦台に上がった

操縦台の上で
息切れしてたの記憶してます。

んで、走り出すと...

「をォ!」って解るほど
速くなってる!

速くなった勢いで
ジャンプ台でジャンプしたら...

速く成ったんで勢い有り過ぎで
着地点が1mぐらい先に

完全にコースのラインから外れてる!

傍から冷静に見てたら
握り過ぎの暴走自動車だよね

だってさぁ

今まで通りに握ると
1.5倍ぐらい走るんだもん!

急に慌てるよね?

んで居て
4分過ぎてもバッテリーが全然タレ無い

改めて
モーターチューナー佐藤さんって
スゲェな!って思いました。


そんなコンナで
初参加の全日本選手権の予選が終了

なんか...イロイロ事件が有り過ぎた

見事、最下位メインで決勝

決勝は翌日

初参加で
まぁ、最下位メインなので
ビリ確定だと思ってたんだけど

何故か?ビリでは無かった

このメイン、1位だったか2位だったか?

よく覚えてません

ヨコモの萱野さんと
ミワの佐藤さんが居なかったら
多分、ビリだったでしょう?

未だにあの方々には感謝しています。


自分は小・中と子供の頃
運動も勉強も出来ず
完全な「オチコボレ」でした

「廊下で立ってなさい!」なんて
ヒステリックなババァ先生に言われた事も多々あります

廊下で立ってろってのは
完全に見捨てたモード。

んだけどさ
ラジコンって違うんだよね

最下位メインで
一番遅い奴にも

世界で名の有る方々が
手を差し伸べてくれる。

まぁ、商売って言えば商売なんでしょが

1人ぐらい放っといても良いのにさ
そうじゃ無いもんね!


世界に名の有る...で思い出したけどさ

自分は最下位メインでした

最下位メインなので
コースマーシャルはAメインの方々

あのワールドチャンピオンな方も
変な柄のズボン履いて
コースマーシャルで立ってます

横から耳打ちされましたょ

「ジャンプで勢い良く飛んで、足に当てろ!」

なんてね

流石にできませんでした...ってか

狙いを定めてジャンプできるんなら
端から最下位メインじゃ無いら?
((((笑




チナミニ
コボレ話なんだけど

この時の全日本
参加選手のピットが決まってて
テーブルに名前が書かれてました

自分の目の前が
某・尾崎〇サル二郎選手

朝、テーブル見た時には
「尾崎二郎」が「尾崎三郎」に成ってました
(イタヅラ書きです)

気が付いたら「尾崎王郎」に成ってて

最後には「尾崎玉郎」に成ってました

オザキタマロウはネェら!(#^^#)



・・・・・つづく

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